「ごめん」

空になった食器を片手に、廊下からの光が差し込んでいるだけの薄暗い部屋から出て行こうとした矢先、腕を捕らえられる。普段なら冷たい秋彦の手が今日はとても熱くて、その体温に切ない気持ちになった。思わず溜め息を吐く。

「いいからちゃんと布団入れって」

悪化したらどうするんだと言いながら毛布を掛け直してやれば、渋々と、しかし大人しくベットの中へと収まった。

「ごめん」
「まあ、これを機に今度からは余裕持ってやれよ」

原稿が上がったのがつい2日前のこと、そのまま高熱でぶっ倒れたのは相川が原稿をひったくって家を飛び出した直後のことだった。

そして今日は、クリスマスイブ。
結局風邪は今日までには治らなかった。
修羅場以前から秋彦の体は不調を訴えていて、それに加え溜めに溜め込んだ膨大な量の仕事。無理をしなくていいと言ったのにも関わらず、そんな不調の状況で信じられない量をこなした結果がこれだ。自業自得とは思うが、どうしても罪悪感を感じずにはいられない。

「うん、ごめん」
「だから平気だって、俺だって去年約束破っちゃったし」

お互い様なんだから。だからこれ以上、そんな顔しないでほしい。また小さく溜め息をついてベッドに腰掛けると、ギシッ、と軋む音がした。

「それにさ」

手にしていたスプーンを皿の上で弄びながら躊躇いつつも、美咲は口を開く。

「その・・・こうしてる間も、一応さ、その、一緒にいるんだって、ことになるんだろうし」
「え?」

ごにょごにょと言葉を紡ぐと、視線を逸らしていたベッドの方がもぞりと動く気配がして、美咲は反射的に立ち上がろうとした。

「い、いやなんでもない!」

が、服の裾を掴んだ手の方が逃げるよりも少し速かった。浮きかけていた体は再びぼすっ、とベッドに引き戻される。カチン、と手中のスプーンが皿に当たり音を立てた。

「っわ、ちょっウサギさん!」
「・・・美咲」

体温の高い腕や肩が、熱とともに背中と腰にぎゅーっ、としがみ付いてくる。その力強さはまるで、嬉しい、と言っているみたいで。どくん、と跳ね上がった鼓動に、気づかれていないことを願う。

「っだからちゃんと布団に・・・」
「じゃあもう少しだけ」
「へ?」

もう少しだけ、側にいろよ。

呟かれたそれは風邪のせいで少し掠れた小さな声だったが、それは楽しそうな、意地悪い響き。 激しく脈を刻む心臓には気づかないふりをして、部屋を訪れてから何度目かの溜め息をついた。

「・・・うつしたら怒るよ」
「そしたら俺が看病してやるよ」
「ばーか、先に自分の治せ」
「そうだな」

するとあんなに強かった腕の力はすんなり抜けて、予想外の出来事に思わず振り返る。秋彦は再び布団の中へ収まった。離れていく瞬間感じた名残惜しさはきっと、気のせいだ。

「じゃあせめて、寝るまで」
「・・・・・・・・・わかった」

ゆっくりと榛色の瞳が閉じられて、さほど時間を待たずしてすぐ静かな寝息が聞こえてきた。そういえばこの人、寝つきは凄く良いんだよな。ちら、と窓の外を見ると真っ暗な空が顔を覗かせていて、雪は降っていなかった。

秋彦の寝顔を見つめながら明日は降るだろうかとぼんやり考えて、それから美咲は、暫くその場から動こうとはしなかった。


明日には風邪、治るかな。


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2009.12.24

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