春の風は柔らかく頬を撫で、暖かくて心地良い。
僅かに砂埃の混ざるそれは、春の匂いを一緒に運んできた。

「わあ、すげえ、ねえウサギさん、満開だよ、まじすげーって!」

前を歩く美咲はさっきからはしゃいでばかりいて、花びらが風に舞うごとに、感嘆の声をあげている。きらきら瞬くひとひらは、いくつも空を散らばって、先の道を彩ってゆく。
目の前に見える何もかもが鮮やかで、世界はこんなにも沢山の色が溢れていたのかと思うほどに、春の日差しの中に、全てが輝いていた。

「やっとリベンジ果たせたね、今度こそちゃんとお花見しなきゃ」

上ばかりを見ている美咲はくるくると笑っている。
そのうち足を引っかけて、両手に持った重箱をひっくり返さないかと危惧しながらも、その様子はとても微笑ましいものだった。
踏みしめる度に感じる土の感触や、肩に下がる水筒の重み。
何もかもが嬉しくて、今はどんな些細なことにでも幸せを感じられるようだ。
気分は酷く穏やかで、自分が思っている以上に気持ちがかなり高揚しているらしいことに気がついた。
きょろきょろと辺りを見回すと、幸いにも周囲に人影は見当たらない。

「美咲」

呼びかけると、美咲はにこやかな表情をしたままこちらを振り返る。 その瞬間、すっと頬を引き寄せると、瞠目した顔にキスを落とす。美咲はびくりと体を震わせて、その拍子に取り落としそうになった重箱は、秋彦の手に収まった。

「ばっ、バカ野郎!何すんだてめー!」

人がいたらどうすんだ、美咲は口を手で押さえ、顔を真っ赤にしながら騒ぎたてている。

「ちゃんと確認した」
「そういう問題じゃない!」

ったくもー、と相変わらず文句をぶつぶつ言いながら、じろりとこちらを睨みつける。 その表情すらも何だかいとしくて、思わずふわりと笑みが浮かんだ。

「はいはい、分かったよ。さっさと行こう」

するとその瞬間、美咲がきょとんとした表情をこちらへ向ける。
あまりにまじまじと見つめてくるので、何事かと思ってその視線を訝しげに見返す。

「どうした」
「……ううん、なんでもない」

そう言って、美咲の表情は再び笑顔を取り戻す。
しかしそれは先程とは違う、何処か優しい笑みだった。

「早く行こう、場所が無くなる」

美咲は秋彦の手から重箱を取り返すと、くるりと踵を返す。
そのままスタスタと先を進んで行ってしまうので、秋彦はその背中を追いかけて行く。
柔らかな日差しはとても暖かく、心の中にまで浸透していくかのようだった。








2011 Sep.02

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