盲目パロ 目が見えないウサギさんのおはなし 「美咲」 名前を呼ばれて振り返る。 おいで、と言われて近寄れば、すっと大きな手がこちらへ伸びてきた。 宙を漂う指先をそっと握りしめると、手のひらを抱きしめるようにして、優しく指が絡みついてくる。その感触を何処までも、しっかりと確かめるように。息づく脈の音すら聞き取っているのではないかと思うほど、大きな手の力強さは慎重で、とても静かなものだった。 そのうち手のひらはほっそりとした腕を滑り、肩を伝い、首筋から頬に触れる。くすぐったくて身を竦めれば、秋彦はクスリと笑みを零した。 「どうしたんだよ急に」 「いや、美咲だなと思って」 「何じゃそりゃ」 瞳に光を灯さないこの人は、まるで眠っているかのように瞼を閉じたまま、柔らかい日差しを受けて笑っている。頬を引き寄せられて身を屈めると、秋彦はゆっくりと美咲の背中に腕を回し、その体をすっぽりと抱きしめてしまった。 ソファーが深く沈み、体は秋彦に寄り掛かるような形となって、何だか少し恥ずかしい。 肩口に顔を埋め、指先で髪の毛を弄び、背中をなぞるのがこの人の癖だ。 「だから俺、鈴木さんじゃないんですけど…」 「そんなの見なくても分かる」 美咲のことならどこにいたって見つけられるよ、と耳元で囁かれ、すかさずバカ、と返す。 顔が熱いからきっと赤面しているのだろうと考えながら、こんな時ばかりはこの人に表情が見えなくてよかった、なんて卑怯なことを思ってしまった。 「ていうか、俺のこと一度も見たことないじゃん」 「鈴木さんほど毛並みは良くないな」 「俺はクマかよ」 「ちゃんと分かるさ」 美咲の耳元をなぞりながら、秋彦は何処か自信たっぷりに、そうきっぱり言い切る。 「……ずっと前から言ってるけど、俺は兄ちゃんと…あんまり似てないからな」 もしこの人の思い出の中に残る、昔の兄の笑顔を思い浮かべているのだとしたら、と考えると少しだけムッとしてしまう。 しかし秋彦は少し体を放すと美咲を見つめるようにして、そっと前髪を撫でた。 「そうだな、美咲はきっと…」 「?」 「孝浩よりも小さくて」 「悪かったな!」 「癖っ毛で、生意気そうで、いつも眉間に皺を寄せていて」 「ウサギさんマジで怒るよ」 「孝浩とは全然似てない」 その瞬間、秋彦の肩に触れていた手が、僅かに強張る。 それを感じ取ったのか、秋彦は美咲の背中を優しく撫でながら、でも、と言葉を続けた。 「でも、そんなお前だから」 だから、誰よりも愛しくて。 この手の触れ合いも、頬の暖かさも。 誰よりも深く、知っているから。 「だから大丈夫」 絶対に美咲を間違えたりしないと、見えない筈の美咲の顔をじっと見つめ、秋彦はそっと笑う。 「頬が熱いな」 「―――っ!」 いつの間にか頬を包み込んでいた手を咄嗟に払うと、秋彦から離れようとして、しかしもう一方の手によってそれは阻止されてしまった。 再び引き寄せられた美咲は、その腕にぎゅっと抱きしめられてしまう。そうなってしまえば下手に暴れるわけにもいかず、それを分かっていて秋彦はこれ見よがしに顔のあちこちにキスを降り注いできた。 「ちょっ、ウサ、ぎさん!」 「あんまり暴れるな、どこにいるのか分からない」 「分からんでいい!」 まったく卑怯だ、この人はとことん性格が悪すぎる。 あまりに微力な抵抗を易々と受け止めながら、秋彦は最後に、優しく美咲の唇に触れる。重なったそれは柔らかく、とてもささやかな施しで、その儚さに美咲は抵抗する力を奪われてしまう。 触れるだけだったそれが少しずつ啄むように、静かに深くなっていくのを感じながら、美咲も相手の背中に手を回し、何処までもやさしいキスを享受する。合間に囁かれた好きだという言葉は、恋人同士が交わす睦言よりも甘く、それを聞いた自分がどんな表情を浮かべているのかということを、知る術は無かった。 それはこの人が決して見ることは出来ないもの。 それでもこの人以外には、決して見せることはないもの。 本当に卑怯なのはどちらだろうと考えながら、美咲はそっと瞳を閉じる。先に広がるのは何も映すことは無い闇で、それはきっと秋彦がいつも見ているだろう世界だった。 どこまでも透き通る闇のなか、同じ場所で触れ合う二人。決して離れてしまわぬように、その繋がれた手だけは絶対に放しはしない。 息苦しさを訴えれば、名残惜しそうに離れて行った唇が、クスリと吐息を零す。すると秋彦はその瞳をうっすら開き、ひどく幸せそうな笑みを浮かべていた。 焦点の合わない双眼と、視線が重なった。 まるで光に目を眇めるかのようなそれは、その瞳の奥に、しっかりと美咲の姿を映している。 ハイチャ見て壱様とゆずにたぎった筈が、どうしてこうなった。 きっと盲目なウサギさんはもっと寂しがり屋。 でもって美咲くんは、そんなウサギさんをもっともっと甘やかしてくれると思う。 2011 aug.21 |