「美咲」 「うざい」 「美咲」 「うるさい!!」 「美咲」 「つ、だから!もう、やめろって・・・!」 何度も何度もそれは嬉しそうに、慈しむように名前を呼ぶ声。そんなものを耳元で聞かされ続けたら、心臓が何十個あったって端から破裂してしまうじゃないか。 最初は勢いがあった抵抗も叫びも、恥ずかしさのせいか次第に弱々しくなってしまった。言葉を紡ぐのも一杯一杯。畜生、どうしてこんなことになってしまったのか、それも全部、やっぱりこの人のせいなわけだが。 そうだな、弘樹とは昔よく遊んだ。弘樹は何でも出来る奴だった、習い事を幾つもしててな、そういえばあいつ、よく泣いてたよ、それと弘樹は、あと弘樹は・・・。 特に感情の高揚も無く、宝箱の埃を優しく払うかのように語られる幼なじみとの思い出話。それは思いのほか暖かい日溜まりと緑の中にきらきらと包まれていて、薄暗い納戸の机や、古びたリングノートに描かれた物語の記憶とは無縁のように思われた。 話の中に何度も登場する鬼教授の、聞き慣れない名前は、紡がれるその度に憎らしいような親しむような、何とも言えない響きが込められていて、秋彦にとっての「弘樹」がとんな人であるかを示しているようだった。 だからきっと面白く無かったのだ。だから下手に突っかかったりして、訝られて、終いには問い詰め追い込まれ、結局いつものようにこんな厄介なことになっている。 俺を抱きしめながら俺の名前を紡ぐその人は、一人で勝手に幸せそうだ。全く本当にムカつくことこの上ない。 「・・・ウサギさん?」 肩口に額を押し付け、体をぎゅーっと抱きしめたまま、秋彦は不意に動かなくなってしまった。この甘えるような力強さは不覚にも可愛いと思えてしまい、胸までぎゅーっと締め付けられる。 「美咲」 好きだよ。肩口に唇が触れる。また名前呼んだ!とか、ていうか不意打ちだ!とかで再びばくばくと鼓動が鳴りだす、その絡み付いた腕に伝わってしまうことが恥ずかしくてばたばた抵抗を始める。 「あー!もういい加減にしろよ!」 これ以上やられたら、本当に死んでしまいそうだ!クスクスと、あまりにも楽しそうなので、一層のこと一発殴ってやろうかとも思う。 すると腕はますます強く体を抱きしめてきたので、殴るどころか、俺から全ての抵抗を奪ってしまったのだ。 睦言のような、あいの囁き。 どこまでもこの心に浸食して、蝕んで、注がれる度にどんどんぼろぼろになってゆくのを感じる。恋の病とベタな言葉を用いれば、まさにこのことでは無いだろうかと思う。一度掛かってしまえば全てを喰らい尽くされてしまう不治の病。でもその痛みは寧ろ心地良さすら感じるものだ。 何処までも落ちて、溺れて、きっとこのままでは駄目になって、決して離れられなくなってしまうのだろう。 しかし、いつしかそれを望むようになっている自分に気が付くのだ。 数少ない、それでも幾つもの特別の中にたった一つ、唯一の響きを持つ名前を知っている。何よりも愛しく、心地良く、心を少しずつ壊してゆく。 その声だけだ。 この人だけが、俺の心を侵し、乱し、汚すことを許される。 14巻のおまけ漫画に萌え過ぎた結果 2011 May.18 |