2010 Feb.14


ブツを勢いよく突き出すと、秋彦の驚いたような様子が伝わった。
その空気に更にいたたまれない気持ちになって、その腕を引っ込めたくなったが何だかそうすることも出来ず、腕は変な方向に真っ直ぐ向いている。視線はソファーの鈴木さん。 今相手がどんな表情をしているのか気になって仕方が無いのに、どうしても顔が上げられない。
ただ渡すだけだというのにこの気恥ずかしさはどうしたものか、それはきっとイベントの概要だとか、贈る相手だとか、そういうものに影響されているのだろうか。
心臓と一緒になって喉元あたりで暴れている気持ちたちは、俺の体と行動をぎくしゃくさせる。
どうにも慣れないこのどきどきは、決して嫌なものではないけれど、すぐさまこの場から逃げ出してしまいたいような、そんな気持ちにさせられる。
行動は単純なものなのに、気持ちは複雑怪奇なパニック状態だ。

時間的にはそれほど経っていなかったはずだ。それなのに、俺の中では羞恥の中に放られたまま、もうずっと長い時間そうしているように感じられた。
いよいよ腕を引っ込めようとした時のこと、突然手首を掴まれたせいで強張った体はどくんと粟立ち、手中のものを取り落としそうになった。

「ありがとう」

一瞬の間を置いて、甘い声音は緊張に強張った体を溶かすように染み込む。
そしてまた、違うどきどきが俺の体を侵食する。



2010 Mar.22


「なぁ、弘樹」

お馴染みの呼び掛けに、コーヒーを注いでいた手を止めて振り返る。しかし当の本人の視線は弘樹ではなく、手に握られている携帯の画面をぼんやり眺めていた。秋彦が携帯を使用している所をあまり見たことがないため、酷く違和感のある光景だ。

「なに?」
「洋風と和風なら、どっちだと思う?」
「・・・はぁ?」

いきなり何を言い出すんだこいつは、つーか一体何の話だ。質問の真意が読み取れず、じっと視線を送ると、それに気がついた秋彦があぁ、と僅かに苦笑した。どうやら本人も無意識の問いだったらしい。

「ソースの話」
「ソース?」
「ハンバーグの」

そう言葉を続けている間も秋彦の視線は携帯に向けられたままだ。聞くまでもなく、相手が誰なのかという察しがついた。

「惚気なら他でやれ」

ちなみに俺は和風おろしだと付け加えてやると、秋彦は軽く吹き出した。

「お前が言うな」


2010 Apr.17


そっと髪の毛に手を差し込むと、美咲は肩をびくりと震わせた。振り返った表情は何故か少し驚いているように見えて、只でさえ大きな瞳を瞠目させている。

「え、何?」
「ほこり」
「・・・あぁ、」

自分でも頭を押さえながら、美咲は再び机に向き直る。その時目に留ったスペルミスを指摘してやると、唸りながら乱暴に字を消した。その背後で、頭に触れた右手をそっと握りしめる。癖のある髪は相変わらず柔らかかった。

問題に解説を加えてやりながら、こっそりと美咲の様子を観察する。隣に座る肩は少し強張っているように見えて、それは秋彦を警戒しているようにも見えたし、又その存在を意識しているようにも見えた。最初は気のせいかと思っていたが、最近ずっとこの調子だ。原因があるとすれば恐らくというか、確実に数日前の孝浩の誕生日だと思う。キスをしたことをまだ意識しているのだろうか。
最も、自身もあの日から美咲には以前とは全く違う感情を抱くようになっている。実は最初から持たれていた警戒心に意識するようになるまで気が付いていなかっただけかもしれないが・・・。
相変わらず肩は緊張しているように見えて、しかし結局その真意は秋彦にはわからなかった。テキストを眺めながら雪の下涙で僅かに震えていた、塩辛い味がした唇を思い出す。
あの日背中に回された腕は、秋彦を包み込むにはとても小さかった。それなのに、ぎゅっとコートを握りしめた力はとても強いもので、どこにそんな力があったのだろうと思うほどに、腕に抱いた体はとても細かった。
その頼りない肩口へ縋るように顔を埋めた自分、美咲はどんな心境で秋彦を支えていたのだろう。

もう一度頭に手を伸ばしかけて、すぐに腕を下ろす。そして再び右手をゆっくり握りしめる。
意味もなく触れる、その言い訳を今度は見つけられなかった。



2011 Feb.14


「ねえ、雪だよ、ウサギさん」

僅かに高揚している美咲の声、
それは優しい静寂を壊してしまわないようにと配慮したような、遠慮がちな響きを持っていた。

深い、深い灰色の雲がどこまでも、空を覆っている。
窓は氷のように冷たく、近づけばひやりとした冷気が滲んでいた。

外をふわふわちらつく雪は、雨よりも柔らかくて、霙よりも暖かい。
降り積もる度に街は白く染め上げられ、無音の世界は深まっていくばかりだ。
予報では、一日降り続けているらしい。

「積もりそうだね、今日は出ない方がいいかな」

ぼんやりと外を眺める瞳がうっすらと、窓ガラスに映る。
その瞳はこれから作りだされるだろう銀世界へ、僅かに期待しているようだ。
その表情を背中越しに眺めながら、胸中で願う。
この雪がいつまでも、降りますようにと。

大切な思い出と一緒に、いつまでも。



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