高橋美咲の場合 「ちょっ、何しやがる!早く会社行かないと・・・」 「お前は俺の担当だろう、だったらそんな場所へ行く必要など」 「あります、ありますから!」 ワイシャツのボタンにかかった手を何とか振りほどくと、乱れてしまったネクタイやら着衣やらを正しながら秋彦との間合いを取る。きっと睨めつけてやると、相手は尊大に腕を組んで不満げな視線を美咲に向けてきた。 一緒に住み始めてからの数週間というもの、秋彦は毎日この調子だ。事あるごとにこうして出勤妨害(ついでにセクハラ)をしては、美咲を家に引き留めようとしてくる。お陰で遅刻の危機は日常茶飯事、ただでさえ慌だしい朝は一人暮らしをしていた以前よりも壮絶なものになっていた。 「次の資料は全部会社だし、俺には相川さんへ色々報告する義務が」 「そんなのファックスで済むし、相川には電話すれば済む話だろう」 「俺を隔離すんな!!そういう訳にはいかないんです!」 ずっと怒鳴っているせいか、まだ朝だというのにもう疲れてしまった気がして、美咲はげんなりと肩を落とす。 「だいたい俺の担当は先生だけじゃないんですからね」 「・・・角先生の話か」 「そーですよ・・・って、そんな顔しないで下さいよ」 明らかに不機嫌な表情へと変わった秋彦の顔を見ながら美咲は内心でため息をつく。 「角先生は確かに尊敬しているが、しかしその息子とやらは気に食わん」 「だからー、先輩はそんな悪い人じゃないって」 角遼一先生の息子である角圭一は、同じ丸川の編集であって俺の先輩でもある人だ。秋彦は何故か彼を極端に嫌っている。 たった数回会っただけの人だというのに、何故そこまで毛嫌いするのかが美咲にはよく分からなかった。 (でも、先輩も先生の本嫌いって言ってたんだよな・・・) 「あいつとは仕事以外であまり関わるな」 「・・・なんでそんなこと先生に指図されなくちゃならないんだよ」 理不尽な物言いに不満を感じていたが、出勤間際だった状況を思い出してはっとなる。時計を一瞥すると、既に家を出なければいけない時間をとっくに過ぎていた。美咲は慌てて鞄を掴んで玄関へと急ぐと、秋彦はその後ろからゆっくりついてきた。 「午後一旦帰ってくる、その時打ち合わせね。ついでにご飯も作るから」 「ああ」 「逃げんなよ」 「逃げないよ、美咲だから」 「・・・っ!いってきます!!」 「いってらっしゃい」 家から出て行こうと立ち上がった瞬間、足がつっかえて体がべしょ、っとドアに激突する。秋彦がクスクスと笑う声を背中に、振り返らずにドアから飛び出した。最近俺はおかしい、何であいつの一言にこんなにもどぎまぎしているんだ。相手はあの宇佐見秋彦だぞ?それに大体、あいつは男であって・・・って、男じゃなかったら何だってんだ!? エレベーターまでの短い距離を駆け抜けながら思考を振り切ろうとしても、鳴り出した鼓動がそれを許そうとしない。いや、これは疾走しているせいだ、だから動揺するなって自分! 頭にぐるぐるとうずまくものを拭い去れないまま、美咲は広すぎるエレベーターの中で一人頭を抱えた。 まだ付き合っていません。相川さんは美咲の上司とか、編集長とかでもいいと思います! ていうか書いてから思ったけれど、編集者って別にスーツじゃなくてもよかったんだよな。でもネクタイ解いて乱すの大好きです(私が) 2010.03.15 |