「しばらくの間、お世話になります」

深々とお辞儀までして、俺にしては丁寧な挨拶だった。今まで散々無遠慮に接してきたこの人を前に改めて畏まるのも変な感じがしたが、一般常識で考えれば普通かと思い直す。すると向こうも似たようなことを思っていたようで、軽く吹き出すと気味が悪いなと独り言のように呟いていた。相変わらず失礼な奴だ。

「こちらこそ、宜しくお願いします」

根っからの庶民にとって5LSDKでメゾネット、なんて響きは何処か遠いものに聞こえる。今日からここがあなたの家ですよ、といきなり宣告されたらかなり戸惑うんじゃないだろうか。いや、今の状況が正にそんな感じなんだけれど。

「どうした、そんな所に突っ立って」

突然声を掛けられて、はっと我に帰る。いつの間にかウサギさんはソファーで鈴木さんと一緒に寛いでいて、俺はやや慌て気味にそちらへ向かった。

「さっきから落ち着きが無いな」
「だって、なんか・・・どうしていいか分からないっつーか・・・」

狭いボロアパートに長年住み着いていた俺には、この広い空間に自分の居場所が上手く見つけられないでいた。半年くらい前からちょくちょく訪れて慣れ親しんできた筈の場所。それが居候先と名前を変えた途端、まるで初めて訪れた場所のように感じてしまう。豚汁片手に、この家へ初めて踏み込んだ日を思い出した。しかし、あの日とは確実に違う心地、これから帰る場所はここなのだ。

「美咲」

顔を上げると、ウサギさんは自分の隣をぽんぽん叩いて座るように促してきた。いや、こんなでかいソファーに男が二人隣同士って、寒すぎるだろ。と思ったのに、その場面を想像して走ったのは悪寒ではなく・・・いや、何でもない今のナシ、きっと気のせいだ。

「ウサギさんはさ」

思考を振り切るように問いかけると、ウサギさんさんはちらりと視線を上げる。

「どうしてこの家に住もうと思ったの?」

質問は唐突だったけれど、実は前から気になっていたことだった。横暴で横柄で、どこまでも我を通して生きているのに、その背中はいつも何処か寂しそうなのだ。この人のことを何も知らないくせにそんなことを考えるのは変かもしれない。でも兄ちゃんの話をしている時の表情を見て、あながち間違ってはいないかもしれないと思った。

「すっげー広いのに、ウサギさん1人暮らしだし・・・」

だから、そんな彼がこんな所に住んでいるのを不思議に思った。寂しがり屋なくせして他人とは常に、大切な人とさえ一定の距離を置いている。そしてこんな広い場所に、1人で。

「まあ、これからは2人暮らしだしな」

何気なく呟かれた言葉。結局ウサギさんは質問に答えず、少し考えた後にそれだけ言った。俺はそれにふぅん、と気のない返事をしたけれど、その瞬間、胸が少しだけとくりと跳ねた、気がした。
その一言は、まるで他人を寄せ付けないこの人が、俺を受け入れてくれてるように思えたのだ。同居を持ちかけたのはこの人だったけれど、その時初めて俺の存在を認めてくれているのだと感じた。
それが何故か、妙に、嬉しくて。

この人の孤独は分からない、それでも、俺がここにいる間だけでもその孤独が少しでも癒されたらいいな。なんて訳の分からんことを考える。いつまでも一緒にいる、なんてことはきっと無理なんだろうけど。

(でも、出来ることならずっと)


「美咲」
「・・・なに?」

ウサギさんは、何だか可笑しそうに笑っていた。

「いつまで突っ立ってるつもりだ?」




2010.03.11

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