コンコン、と控えめなノックの音に、話の続きを巡らせていた思考は現実へと引き戻される。一息ついて時計に視線を向けると、もうすぐ日付が変わろうとしているところだった。

「ウサギさん?」

返事が無いことを訝るような美咲の問いかけ。どうぞ、と声を掛けてやると、少しの間を空けて、ドアが静かに開かれた。

「ごめん、集中してた?」
「いや、大丈夫」
「コーヒー入れけど、飲む?」
「あぁ、ありがとう」

数時間前に自分で淹れた分は既に飲み干してしまい、カップの中身は空だ。ちょうど飲みたいと思っていた所だったので有難かった。美咲が近くまできたところでコーヒーがほわりと香る。カップを受け取ると、手の中に淹れ立ての温もりが広がった。

「どう、仕事終わりそう?」
「あと、少し・・・大丈夫、明日には終わらせるから」
「そ、そう・・・」

何処か不安げな声色の真意を正確に読み取ると、美咲は驚いた表情を浮かべる、忘れているとでも思ったのだろうか。ちゃんと覚えているよ、と付け足してやれば、決まりが悪そうに視線が反らされた。
ここ数日はずっと仕事に追われていたが、ようやく終わりを迎えられそうだ。進行状況は芳しくなかったが、いつもの修羅場に比べればましな方だった。それも全て、明日のために進めてきたから。そう、明日のために。

「大体にして、当日まで持ち込むなよなー」
「何、楽しみにしてくれてたの?」
「そっ、そんなんじゃねぇよ!」

突然ムキになった声色に、秋彦はクスクス笑う。口からぎゃんぎゃん出てくるのは可愛げの無い言葉ばかりだが、ほんのり朱色に染まった頬だけは、彼の感情を素直に表していた。
「・・・楽しみっつーか、その」
すると、さっきまで威勢の良かった声が突然勢いを無くす。どうしたのかと表情を伺うと、への字に曲げられた口がもごもごと動いていた。

「一応、色々考えたからさ、無駄になったら、勿体無いし・・・」

言葉はだんだん小さくなり、最後は口の中で消え入ってしまう。殊更真っ赤になった頬は俯いてしまったせいでよく見えなかったが、その様子に更なる愛しさが溢れた。秋彦の視線に気づいて、はっと顔を上げる。

「あ・・・っ何言ってんだか、じゃあ俺、もう行・・・、っ!」

逃げ去ろうとした腕を掴む、抵抗されることを予測していたが、美咲はそのまま動かなくなった。

「無駄になんてしないよ」
「・・・・・・・・・」
「美咲が用意してくれたんだろ?」
「・・・・・・・・・・・・うん」

いつでも一生懸命で、俺を喜ばせようとしてくれる愛しい存在。その行動の一つ一つが、どんなに俺を幸せにしてくれているか、お前は気づいているのだろうか。自分のことをいつも考えてくれていることが。
(それが例え無意識だとしても、俺は)

掴む手に力は殆ど入れてはいなかった。それでも手中の腕は僅かに力んでいるようで、何処か照れくさそうに、強張っていて。 思わず抱きしめようと、椅子から立ち上がった瞬間、椅子の軋む音が美咲の「あっ」という声にかき消された。

「どうした?」

すると美咲は振り返り、さっきまでこっちを見ようともしなかった視線がしっかりと顔を見据えてくる。何事かと同じように顔を見つめていると、その口がゆっくりと開かれた。

「誕生日、おめでとうございます」

驚いて、一度時計へ視線を向ける。すると針は丁度正午を指していて、日付が変わったことを知らせていた。そしてもう一度美咲を見て、秋彦は思わず噴出してしまった。

「なっ、なんだよ、何笑っ、わっ、ちょ、ウサギさん!」

掴んでいたままだった腕を引き寄せて、今度こそ、その存在を抱きしめる。祝ってもらえて一番に嬉しい人から、一番最初に言われるだなんて、今年は何て幸せな誕生日だろう。お前がいたからだ、だからきっと、心からこう思うことが出来るんだ。

「ありがとうございます」


生まれてきて、良かった、って。












というわけで、2日も遅れちゃったけどウサギさんお誕生日おめでとう!
下の日付は完全詐欺です、今度からはもう少し計画性もって書こう私←
何はともわれ、本当にお誕生日おめでとう!!!




2010.03.03

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