『友人と飲んでくるから少し遅くなる』
「え?・・・・・・あ、うん。わかった、気をつけてね」


ガチャ、ツー、ツー…





テレビを消せば、無駄に広い部屋は一気に静寂な空間と化す。
テーブルに置かれたラップのかかった総菜に溜息をつき、そのままソファーへと横になる。鈴木さんに膝枕をしてもらうような形で寄りかかると、ふさふさした感触が首元をくすぐった。
遠い天井をぼんやり眺めて、ああ静かだなと思う。秒針の音はやけに響くが、それは余計に虚しさを募らせるだけだった。
秋彦が家を開けることなんて殆ど無い。職業柄引き込もりがちな彼が出先からの帰りが遅くなるのは珍しくて、しかも今日は突然のことだったから驚いた。お陰で折角作った夕食も無駄になってしまった。せめてもっと早く連絡してくれればいいのに、と心の中で悪態を付く。

家主である彼が不在になった途端、この家は本当に静かだ。仕事で部屋に引きこもっている時も静かだが、今のそれとはもう少し違う。
静寂の中、僅かに響くキーボードの音とか、時々ごそごそ動く気配。気にしなければ聞こえないほどに小さなその音たちは、彼の存在を感ることが出来る。でも、今はそれが無くて。
耳鳴りがしそうなほどの静けさは酷く殺伐としていて、まるで空間が呼吸を止めてしまったかのような気がする。だから少しでも気を紛らわそうと、さっきまでテレビを付けていた。キーボードや椅子の軋む音に比べれば何倍も賑やかな筈の音では、しかし虚無感を消し去ることは出来なかった。
いや違う、音の大きさが問題じゃないんだ。
広い空間に響くテレビの雑多な笑い声や陳腐なBGMの中から、探している音は結局のところたったひとつだから。
ああ、と美咲は納得する。

きっと自分は今、寂しいんだ。




その時、静寂を遮ったのは玄関からのドアが開く音。

美咲はがばっ、とソファーから起き上がると、暫くしてリビングに秋彦がふらりと入ってきた。

「おかえり・・・ってうわ、大丈夫?」
「・・・ただいま・・・・・・・・・水」
「あー・・・はいはい、ちょっとまって」

声はしっかりしているが、覚束ない足取りからかなり酔っているのだろう。美咲がキッチンへ向かい、水を持ってリビングへ戻ると秋彦はソファーにいる鈴木さんへ突っ伏していた。

「はい、って寝るなよ」
「んー」

絞り出したような生返事が返ってきて、しかし秋彦は起き上がる気配が無い。体をゆすってみても、ピクリとも反応をしなかった。

「おい、ウサギさんてば」
「・・・・・・・・・」

駄目だこりゃ。
すやすやと寝息を立て始めた背中に思わず溜息を吐く。
この人は本当にどうしようもないと思う。誰が毛布かけてやると思ってんだよ、全く。俺がいなかったらどうすんだよ、一人じゃ全然駄目じゃん。
僅かに覗く寝顔は酷く気の抜けたもので、肩は穏やかに上下を繰り返す。そんなだらしなくも微笑ましい姿に呆れつつ、同時に感じたのは暖かな安心感。

(でも、それは俺も同じか)

聞き逃してしまいそうなほどに小さな呼吸音は、この家が息を吹き返したかのように暖かかった。




2010.02.01

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