「あ、ウサギさん?俺だけど」

大学からの帰り道、向かう先は居候先のマンションではなく近所のスーパー。秋彦に電話を掛けたのは、夕飯の買い出しをする前にリクエストを聞いておこうと思ったからだ。

『サンマが食べたい』
「あー、そういえば季節だもんね。わかった」
『やっぱり七輪で焼くのか?』
「なわけねえだろ、いつの時代だ」

しかし一般中流階層家庭でサンマといえば、縁側で七輪、団扇と横に猫がいて、と何処からか仕入れてきた知識を語り出す。やはり七輪は欲しいか、と本気で考え出した秋彦を美咲は慌てて制した。

「とにかくサンマね。つーかウサギさん、仕事終わった?」
『・・・・・・あー・・・』
「何だその忘れてましたって声」

昨日、相川が締め切り間近の原稿がどうのこうのと秋彦に釘を刺していたのを聞いていた。確か進行状況が芳しくなく、急いで進めないと間に合わなくなるのではなかっただろうか。修羅場を何度となく目にしてきた美咲は、内心で溜め息をつく。

「たまには余裕持ってやれよ、相川さんに楽させたげなって」
『じゃあ美咲から俺に』
「拒否する」
『・・・まだ何も言ってないだろう』

大体検討がつくんだよ。そうこうしているうちにスーパーへと辿り着いた。

「帰るまでにちゃんと進めとけよ。でなきゃメシ抜き」
『お前は何処の鬼編集だ』
「じゃあ俺を巻き込むな!ぶっ倒れた誰かさんを介抱してんのは俺なんだからね」

一人暮らしをしていた頃は、この人は一体どうしていたのだろう。あ、音信不通になったんだっけ。
いつも、気が付けば変な場所で野垂れ死んでいたりするから。だから秋彦からは目が離せない。

「・・・他人にあんま、心配かけさせんなよな」
『他人って、例えば?』
「相川さんとか!」

すると電話口でクスリと笑った気配がした。何だかムカついて、口調がやや乱暴なものになってしまう。

「じゃあ切るから!」
『はいはい、お前に心配させないよう頑張るよ』
「だから相川さんだっつーの!」
『愛してる』
「ッ何言ってんだ!じゃあ」

終話ボタンを押して、不意打ちに赤くなった顔を隠すように俯いてスーパーの中へ入る。電話って卑怯だ、耳元で囁かれるのも厄介だが、直接注ぎ込まれた響きはなかなか離れてくれない。右耳はじんわりと熱を持って、なかなか引く気配を見せてはくれなかった。
クソウサギ、バカウサギ、サンマの上に刻んだピーマンのっけてやる。

秋彦になるべく電話は掛けないと心に決めながら、向かう先は野菜コーナー。




2009.10.04

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